皮膚のバイオメカニクスに関する研究
3)シワ形成のバイオメカニクス
【研究の背景】
皮膚の機能には,バリア,温度調節,免疫応答などがありますが,視覚的コミュニケーションにおいて果たす役割も無視できません.そのため,ヒトは皮膚の美的価値を求めます.この際,障害となるもののひとつにシワが挙げられます.シワは大きく分けて2つに分類されます.ひとつは表皮性のシワであり,これは表皮が乾燥し変形することによって生じる一過性のもので,保湿をすれば消えます.もうひとつは真皮性のシワです.これは真皮の変化を伴うシワで,加齢に伴って形成され紫外線照射によってその形成が促進されます.このシワは,一度刻まれると消すのが困難であり,美容上大きな問題となっています.皮膚に紫外線を照射し続けることによりシワを人工的に誘導することが可能です.例えばマウス背中に紫外線(UVB)を数ヶ月間,断続的に照射すると,体を輪切りにする方向にシワが形成されます.図3-1は正常マウス(左)と,紫外線を照射し実験的にシワを形成したシワマウス(右)の背部皮膚の体周方向に垂直な断面(体を縦切りにする面)の組織像です.シワマウスでは正常マウスより表皮(上部黄土色の層),真皮(中央部の赤い層)共に厚くなっていることが判ります.また,下部の黄土色の層は皮膚直下の筋肉ですが,この像より,筋繊維の走向が体軸方向つまりシワ走向方向に直交する方向であることがわかります.そこでシワ形成には,紫外線照射による皮膚の肥厚や筋線維の走行が関係していると考えられます.しかし,どのようなメカニズムでシワが形成されるのかは解明されていません.一方.シワ形成の過程には組織の能動的変形が深く関与していることは明らかであり,バイオメカニクス的アプローチが重要であると考えられます.そこで本研究では,シワ形成のメカニズム解明を目指し,シワモデルマウスを用いてシワ部周辺の力学的環境がどのようになっているか観察,考察しています.
図3ー1.正常皮膚(左)とシワ皮膚(右)の断面写真
【研究内容】
以下の一連の研究を通じ,シワ皮膚の表皮,真皮,筋層に各々どのような力やひずみが生じているのか,そしてそれは正常皮膚とどのように違うのか,定量的に明らかにしようとしています.
●筋層剥離前後のシワ形態変化の観察(生田直子,2005) シワマウス背部皮膚から1辺が13-15mmの正方形試料を切り出し,その表面形状からシワ間隔とシワ深さを計測しました.その後,筋層をピンセットとハサミを用いて目視下に注意深く剥離し,同一箇所のシワ深さとシワ間隔を計測しました.その結果,筋層を剥離することにより皮膚が伸びて,シワが殆ど見えなくなることが判りました.すなわち,シワ形成には筋層の発生する張力が大きく関わっていることが判りました.また,シワ深さとシワ間隔の変化を詳細に計測することにより,シワ深さがシワ間隔の僅かな増加で大きく減少することが判り,シワ皮膚の変形が単純な等方均質体の変形とは全く異なることも明らかとなりました.
●生体内伸長比の計測(森麻子,2005) 生体上で皮膚がどの程度の引張を受けているのか知ることは,生体内の皮膚の力学環境を明らかにする上で必要不可欠です.ここでは,マウス背部皮膚正中線上(体軸方向)ならびにそれと直交する線上(体周方向)に標点をにマークし,このマークの間隔を皮膚剥離前Lin,剥離後Lexにノギスで計測し,生体内伸長比λ_Lin/Lexを求めました.その結果,正常マウスの場合にはλは体周方向の方が体軸方向より大きいのに対し,シワマウスの場合には体周方向の値が低下し,両方向の差がなくなることが判りました.しかし,シワ皮膚でも生体内伸長比は1.0より大きかったことから,シワは周辺から皮膚が押し付けられて生じるわけではないことが示唆されました.
●剥離皮膚の反り返りの観察(生田直子,2005) 皮膚の各層にどのような力が生じているのかは,単純に皮膚の生体内伸長比を調べただけでは判りません.皮膚の上層と下層に加わる力が違うと皮膚は反り返ったり,丸まったりするはずです.これを定量的に調べています.すなわち,正常群とシワ群のマウスの皮膚から体軸方向に細長い短冊試料と,体周方向(シワ走向方向)に細長い短冊試料(2mmx15mm程度)を切り出しました.切り出した試料は皮膚表面が凸になるように試料長軸方向に反り返ります.この反り返りの大きさを巻込角φ’(図3-2)で評価しました.その結果,正常皮膚では体周・体軸両方向に等しく反り返るのに対し,シワ皮膚では体周方向に長い試料では殆ど反り返らないことが判りました.一方,試料からの筋層を剥離すると,両群とも反り返りは小さくなり,体軸・体周に見られた差もなくなることが判りました.これらの結果はシワ皮膚は筋層により体軸方向に強く引張られていることを示すのかも知れません.
●二軸引張特性の計測
皮膚は体表面で体軸と体周の両方向に同程度引張られています.従って,皮膚の力学特性を知るためには,単軸の引張試験をしただけでは不十分であり,二軸の特性を求める必要があります.そこで,自作の二軸引張試験機(図3-3左)を用いて正常ならびにシワ皮膚の力が特性を計測しています.試料の把持は糸を等間隔に5回通して端同士を結び,できた5個の輪にアームの試料把持用の棒を通すという方法で行っています(図3-3右).このように把持した状態で二軸引張試験をします.荷重検出はカンチレバー式のロードセルによって行い,変位測定は試料をCCDカメラで撮影し,その映像を二値化することにより行います.得られたデータから応力-伸び比関係を求めます.
図3-3. 二軸引張試験装置(左)と皮膚試料を取り付けた様子(右).