筋肉は鍛えると太く逞しくなり,使わないとやせ衰えるのは良く知られています.
また,宇宙に滞在し無重力状態に曝されると,骨からカルシウムが抜けはじめ,僅か1週間で骨の強度が下がってきてしまいます.あるいは,高血圧に曝された心臓や動脈の壁は正常血圧のものと比べて厚くなっています
(図1).どうしてこのような変化が起こるのでしょうか?
図1 正常血圧(左)と高血圧(右)のラット胸大動脈の断面写真.
管軸に平行な断面をAzan-Mallory染色したもので,向かって左が内腔面.
赤は平滑筋細胞,白い層は弾性板(エラスチン),青はコラーゲン線維.
それぞれラットが生きていた時の血圧でホルマリン固定したもの.
高血圧になると壁が厚くなるが,層の数は変わらない.
また,内側の層が特に厚くなっていることが判る.
管壁の内側は内圧の上昇により円周方向の引張応力が高くなる部分である.
すなわち,応力の高いところの平滑筋ほど肥大していることが推察される (Matsumoto and Hayashi, 1996).
どうやら,筋肉や骨,心臓,血管などの生体組織が健全な機能を維持して行くには,“適当な力”が加わっていることが必要らしいのです.そして,加わる力が変化すると,生体組織はその力を元に戻すように自らを変化させることができるらしいのです.だとすると生体が機能を維持するのに必要な力はどのようなものなのでしょうか? また,生体組織はどのようにして力を感じるのでしょうか? 更に,生体と力の関係を上手に利用すると,これまで難しかった病気の治療ができるようにならないものでしょうか?
加わる力に対する応答はマクロな組織だけに起こるのではありません.組織を構成するミクロな細胞も力に対して色々な応答をしています.例えば,血管壁
(図2)の内側を覆っている“血管内皮細胞”は,細長く血液の流れの方向を向いていることが知られています
(図3)し,血管壁自体を形作っている“血管平滑筋細胞”は力が加わることにより細胞自身が太って大きくなることが判っています.また,これらの細胞を弾性膜に貼付いた状態で培養し,その膜に伸張と弛緩を加えると,細胞は引張と直交する方向を向くことも知られています.
図2 動脈の構造.
血管は内側から内膜,中膜,外膜の3層に分けられる.
内膜は血管軸方向に並んだ内皮細胞とこの細胞が張付いている内弾性板(主成分はエラスチン),中膜は円周方向に並んだ平滑筋細胞やエラスチン,コラーゲン,外膜は線維芽細胞とコラーゲン線維からなっている(“からだの地図帳,講談社,1989”より改変).
この図は厳密には中膜が平滑筋主体の筋性動脈の図であり,大動脈や総頸動脈などの弾性動脈は,これと若干異なる構造を有している.
すなわち,弾性動脈の場合,中膜は図1に示すように平滑筋層と弾性板が交互に繰り返す構造をしており,この繰返し単位をlamellar unitと呼ぶ.
図3 ウシ血管内皮細胞の流れに対する応答.
大動脈の内面から剥離した血管内皮細胞をシャーレの中で培養すると,底面に張り付いて敷石状に一層に広がる(右).
培養液に流動を加えて細胞に剪断応力を作用させると,細胞が紡錘形に長くなり,流れの方向に配向する (左).図は細胞内の微細構造のひとつであるアクチンフィラメントを染色して観察したもの (Kataoka et al, 1997).
血管内皮細胞が流れの方向を向いて並ぶのは,血流によって自らに加わる剪断力(センダンリョク,細胞をこすって壁から剥そうとする力)を小さくしようとする応答であり,血管平滑筋細胞が太くなるのは,自らに加わる引張応力(単位断面積あたりに加わる引張力)を一定にしようとする応答ではないかと考えられています.またこれらの細胞が引張と直交する方向を向いて並ぶのは,引張により細胞自身に加わるひずみが最小になるような向きを取るためではないかと言われています. 同様の例は骨についても知られています.骨の内部には細い柱のような骨梁(コツリョウ)が縦横無尽に走っています
(図4)が,この骨梁の走行方向は主応力方向(引張や圧縮の力が最も大きくなる方向)に一致していると言われています
(図5)し,骨の形自身,加わる力に対して最小の材料で最大の強度を達成するような形になっていることが,19世紀から指摘されています(Wolffの法則).
図4 大腿骨の足の付け根側の断面.内部の細い線上の構造物が骨梁(Thompson, 1942).
図5 先端に等分布荷重を受ける梁の最適形状の理論解(左)と大腿骨の形状の類似性(Thompson, 1942).
理論解内部の曲線は主応力方向を,大腿骨内部の曲線は骨梁の方向を示す.
形状が類似しているだけでなく,骨梁の走行方向と主応力線の方向が見事に一致している.
また,動脈をイカリングのように輪切りにして,その輪の一カ所を切ると輪が円弧状に開くことが知られています
(図6).これは切り開く前の輪の内側に圧縮力,外側に引張力が残留していたことを示しますが,これは,血圧が負荷された状態の血管壁の内側と外側が等しく引張力を負担していたために生じる
(図7)と予想されています.
図6 イヌ胸大動脈の輪切り試料(左)と輪を切断し弧状に開いたもの.
輪を切断するとこのように開くことから,切断前の輪切り試料には外力は作用していない(無負荷状態)にも関わらず,無応力状態ではなく,内壁側に圧縮の,外壁側に引張の残留応力が発生していたことが判る.
図7 血管の円周方向応力分布.
上段のように,無負荷状態 (No load state) の血管に残留応力がなかった場合,材料力学における“厚肉円筒管の変形”を考えると了解されるように,血圧が負荷された生理的な状態 (Loaded state) の円周方向応力は内側で高く,外側で低くなる.
一方,下段のように生理的な状態で応力分布が壁厚方向に一様だったとすると,無負荷状態の試料には,内側に圧縮,外側に引張の応力が残留していることになる.
このような試料を半径方向に切断すると残留応力が解放され,輪が弧状に開くことになる.
輪の開きの指標として開き角αがよく用いられる.
このように生体組織は力に対して応答するばかりでなく,その応答は何らかの意味で最適な状態を実現していると考えられています.とすると,このような生物の性質を応用して力学的に最適な機械部品を設計することはできないでしょうか? あるいは,センサを作ることはできないでしょうか? 更には,生物自身に機械部品を作らせることはできないでしょうか?
生体の仕組みや成り立ち,振舞いを力学的な側面から研究する学問領域をバイオメカニクスと呼びます.機械工学科の必須科目である材料力学や流体力学,機械力学の目を通して生体を眺め解析する学問領域です.私たちの研究室では,細胞と生体軟組織のバイオメカニクスを中心に据え,こうした力と生命現象の関係を,工学的手法を用いて解明すると共に,得られた知識の医学・工学への応用を目指し,日夜研究を進めています.
教授 松本 健郎(まつもと たけお)