血管のバイオメカニクスに関する研究
動脈の内圧-直径関係に与える弾性板座屈の影響
研究の目的と背景
動脈には弾性動脈と筋性動脈の2種類があります.弾性動脈 (図.1a) は大動脈から頸部,あるいは太腿の付け根までの範囲の太い動脈で,エラスチンというゴムのような弾性に富んだ成分が多く含まれています.一方,筋性動脈 (図.1b) はそれより末梢の動脈で,エラスチンは少なく平滑筋細胞に富んでいます.血管は内圧をかけると膨らみますが,この内圧Pと直径Dの関係,すなわちP‐D関係は弾性動脈と筋性動脈で大きく異なっています (図. 2).その理由として壁内のエラスチンの割合が関係しているのではないかと我々は考えました.
すなわち,弾性動脈の弾性板は低圧では蛇行していることが知られています (図.1a).最近,この蛇行は,弾性板の本来の形状ではなく,周辺の組織が弾性板を圧縮することにより生じる座屈であることが示されました (図. 3).座屈した弾性板は壁内で圧縮力を負担していると考えられ,内圧の低下に伴う血管径の減少が,弾性板が座屈を開始した時点から鈍ることが予想されます (図. 4).すなわち,弾性板の豊富な動脈ほど内圧低下時の血管径の減少が少ないことが予想され,これが弾性動脈,特に,大動脈の内圧‐径関係が低圧領域で上に凸の逆S字曲線を描く原因の1つではないかと考えたわけです.
そこで,本研究では,弾性板の座屈が動脈の内圧‐径関係に与える影響を実験と理論解析の両面から検討することを目的とし,家兎各部の動脈の内圧‐外径試験と組織観察,そしてモデルを用いた解析を行い,弾性板の座屈が動脈の力学特性に与える影響を推定しました.
図. 1 無負荷状態の動脈壁内のエラスチンを染色した組織像.
弾性動脈ではエラスチンが層状に並んでいて,弾性板と呼ばれる.
弾性板は筋性動脈には壁の内面と外面に1層ずつある.
図. 2 血管のP‐D関係.
P‐D曲線の形状は,弾性動脈では始めは上に凸で
それから下に凸になるという逆S字形状となっているが,
筋性動脈では下に凸の単純な形状になっている.
図. 3 薄切りにした動脈試料内部の弾性板 (a) と
これから周辺組織を除去したもの (b) (福永晃久,2007).
周辺組織の除去により蛇行していた弾性板が真っ直ぐになることが判った.
図. 4 弾性板座屈の影響の可能性.
弾性板が真っ直ぐな間は,内圧の減少に伴い血管径が順調に縮小するが,弾性板が蛇行を始めるとこれが収縮に対する抵抗となって血管径の減少を妨げると予想される.
このため,弾性板が豊富な血管の場合には,内圧ゼロの時の血管径が弾性板のない場合に比べて大きくなる可能性がある.
研究方法
もし,弾性板が座屈して血管の収縮が抑えられるとするならば,血管の低圧領域のP‐D関係が上に凸になる.つまり,エラスチンが多いほどP‐D関係は上に凸になることが考えられます.また,エラスチンが多いほど圧縮に対する抵抗が大きくなると考えられるため,1本ずつの弾性板の蛇行は小さくなることが予想できます.これが成り立つか確かめるために,ウサギの色々な部位から取った動脈(上甲状腺動脈STA,左総頸動脈 LCCA,胸部下行大動脈 DTA,腹部大動脈 AA,左外腸骨動脈 LIA,左大腿動脈 LFA)を用い,これらの試料から得られた内圧‐内径曲線の0ー5 mmHg間の傾きを55ー60 mmHgの傾きで割った傾き比 (P‐D関係の凸度合の指標) SR (=S0-5/S55-60) と,内弾性板の蛇行に沿った長さLeを最短距離Lで除した内弾性板蛇行度 (弾性板の蛇行具合の指標) Wi (=Le/L) と中膜に占めるエラスチンの面積割合 (エラスチン割合の指標) ERをそれぞれ各試料で計測しました.これらの間には相関関係が成り立つことが予想されます.
また,弾性板座屈の影響を定量的に確かめるために,Wuytsの血管力学モデル (1995) を用いて,弾性板の座屈が動脈の力学特性にどのような影響を与えているのかを推定しました.
研究結果
図. 5は各部位のエラスチン割合ER,図. 6は内弾性板蛇行度Wi,図. 7は傾き比SRの結果です.グラフの横軸は血管の部位を示していて,LPCCAとUDTAの間が心臓の位置になり,両側に遠ざかるほど血管は末梢の部位になります.これら3つの図から,座屈した弾性板が圧縮力を負担して減圧時の血管径の減少に対する抵抗になっていることが判ります.また,血管の力学モデルを用いて,血管の内圧‐径関係に与える弾性板座屈の影響を見積もったところ,やはり,弾性板の座屈が血管径の減少を妨げていることが判りました.
以上より,弾性板の座屈が動脈の内圧‐径関係に影響を与えている可能性が確認できました.今後は,より詳細な解析を行い弾性板座屈の影響を定量的に明らかにする必要があります.